香港の大まかな歴史
| 1839年 | アヘン戦争 |
| 1842年 | 南京条約により香港島がイギリスの統治下へ |
| 1856年 | アロー戦争 |
| 1860年 | 北京条約により九龍半島がイギリスの統治下へ |
| 1898年 | 今後99年間は香港島、九龍半島、新界がイギリスの植民地になる条約締結 |
| 1984年 | 英中共同声明を発表、一国二制度での香港返還に合意 |
| 1997年 | 香港返還 |
| 2003年 | 国家安全条例に対する50万人デモ |
| 2014年 | 雨傘運動 |
| 2015年 | 銅鑼湾(どらわん)書店失踪事件 |
| 2019年 | 逃亡犯条例に対する200万人デモ |
| 2020年 | 国家安全法制定 |
- 1839年のアヘン戦争で、英国が中国に勝利したことにより、英国は中国と南京条約を結んで、香港島を割譲させました。1956年に、中国と、イギリスとフランス達の間でアロー戦争が勃発し、北京条約が結ばれました。これにより、九龍半島が英国に割譲されました。1898年に、英国は中国と租借条約を締結させ、今後99年間は香港島、九龍半島と新界が英国の植民地になりました。
⇩香港の位置
総面積は、1106km²で、札幌市の1121km²よりやや小さく、東京都の半分の面積です。総人口はおよそ740万人で、1km²あたりの人口密度は6600人を超えています。日本の人口密度が350人程度ということを考えると、香港の人口密度がどれだけ高いかがわかります。人口の91%は漢民族で、広東語が一般的に話されている言語です。

- 香港は、1997年7月1日に中国に返還され、一国二制度という高度な自治を認められた体制で中国による統治が始まりました。これは、中国という国の中に香港と中国という二つの統治体制を設けるということです。社会主義の中国に対して、資本主義をベースにした香港は経済成長を続けました。欧米諸国と価値観を共有している香港は、社会主義の中国よりも人材や資本を取り入れやすいという利点を擁しています。
- 2014年には、当時高校生だった周庭氏や黄之鋒氏を中心に雨傘運動が発生しました。これは、中国が香港のトップである行政長官を選ぶシステムを勝手に変えてしまった事によります。行政長官に選ばれる人は、親中派で愛国心を持った人だけに限定され、結局選挙は形だけのものになり、中国の思う通りにしかならないことを示します。これに反発した香港市民はデモをおこします。これが俗に言う「雨傘運動」です。
- 逃亡犯条例とは、海外で罪を犯したと思われる容疑者が香港にいる場合、協定を結ぶ国や地域への要請によって引き渡しを可能にするものです。これにより、中国政府に反対する人が犯罪をでっち上げられた結果、中国にそのまま身柄を引き渡される可能性があります。それを危惧した香港人が大規模なデモを起こしました。デモには推定200万人が参加したとされています。香港の総人口が741万人だということを考えると、人口の3割ほどの人々がデモに参加したことになります。
- 2020年5月に、中国最大の意思決定機関・全人代で「香港・国家安全維持法」が制定されました。これは、全66条から成る法律で、2019年に発生した香港市民による反中国政府デモに対する対応措置で、香港市民のデモを現在の統治体制への反乱と見なし、法のもとに公に処罰できる制度です。これにより、一国二制度は実質的に維持されていないと言う見解が世界中に広まり、英国をはじめとする先進各国から批判を受けました。旧宗主国の英国のボリス・ジョンソン首相は、香港市民300万人に対し、イギリスの市民権や永住権の申請を可能にする方針を発表しました。
香港人のアイデンティティーについて
香港はかなり特殊な存在です。香港は、中国であって、完全な中国では無く、東洋であって完全な東洋でもありません。そして、西洋的な制度や文化も残っていますが、もちろん西洋でもありません。香港は中国南部を示す華南の一部ですが、「嶺南」という地理的概念にも含まれています。嶺南とは、現在の広東、広西や海南島を示し、中華文明の「外」というニュアンスや、ベトナムに近い文化を有するイメージが強い地域です。このことから、香港には特殊な「境界性」が存在し、中国、英国や周辺の東南アジア諸国とは異なった独自性と固有の香港人アイデンティティーが存在します。


香港の人口は現在740万人を越え、全体の92%が中国人で、残りの8%の主な人種構成はフィリピンやインドネシア、英国となっています。フィリピンやインドネシア人の割合が高いのは、「アマ」と呼ばれるメイドとして雇われているからです。
香港の人口は、中国で戦乱や混乱が起こるたびに膨れ上がりました。香港には、台風や悪天候から船を守る「避難港」という役割のほか、常に中国から逃げ出す人々の避難港という役割も兼ね備えていました。人口は、1851年の太平天国の乱で10万人に急増し、辛亥革命で60万人になり、日中戦争が起きると160万人にまで膨れ上がりました。日本占領時には60万人に減少するも、1950年には国共内戦で200万人に戻り、大躍進と文化大革命で400万人を突破しました。こうした巨大人口の移動はエグゾダスと呼べる規模です。
中国共産党が内戦に勝利して政権が樹立する1949年には、中国大陸と香港間の政治境界線が強化され、このことが「香港人」が意識されるきっかけになりました。また、香港では1980年代までに教育の整備、公共住宅の充実、そして高度経済成長期を迎え、中国とは桁違いの豊かさを手に入れました。ベビーブーマーの香港生まれ、香港育ちの新中間層がされ、大陸の中国人とは異なる「香港人」意識の原型が生まれました。中国本土のマンダリンとは異なる、広東語が一般的に普及している香港において、広東語による映画や音楽などのポピュラー文化の興隆、さらに広東語を使った教育の影響もあり、香港独自のアイデンティティが生まれました。


香港返還後の1997年の世論調査では回答者に「香港人か、中国人か」を尋ねる設問がしばしば現れました。東京大学の谷垣真理子博士の調査によると、49.2%が「中国人である」と回答し、38.2%が「香港人である」と回答し、10%が「中国人でもあり香港人である」と回答しました。回答者の73%が中国大陸に親戚や友人を持ち、そのうちの8割は中国大陸の友人や親戚と交際していることがわかりました。1997年以降、返還への恐れが消え、中国の経済成長もあって、中港融合が加速し、中国人意識が高まりました。しかし、2008年以降、中国は香港の普通選挙を認めず、北京への信任が揺らぎ、香港人アイデンティティが再び強まりました。2014年の雨傘革命時の香港大学の調査によると、香港の若者の75%が「自分は香港人である」と主張し、中国人ではなく香港人であるというアイデンティティを持っている人が75%を占めていることがわかりました。
2020年6月に行われた、香港民意研究所による世論調査によれば、香港に住む人々の50・5%が「香港人」、25%が「中国の香港人」、11.0%が「香港の中国人」で、残りの12.6%が「中国人」と回答しました。
2012年11月に成立した習近平政権は、香港域内政治の介入や反対者への締め付けを強化し始めました。昨今、香港人意識が強まったのは、アイデンティティの帰属対象の「香港」の政治的な自由が脅かされているという危機感が、現実味を増したことに関係します。
香港の将来



香港返還ごろ、香港は、中国の0.6%の土地で、中国全体のGDPの20%を稼ぎ出していました。中国本土に比べて圧倒的な生活水準を誇っていた香港でしたが、現在のGDP貢献度は全体の3%ほどしかありません。これは、中国本土の経済成長によるもので、決して香港が縮小したわけではありません。香港の北に位置する深圳市のGDPは、2018年に初めて香港のGDPを上回りました。2020年の、シンクタンクによって発表された「中国のチャンスある都市2020」によると、香港の順位は9位、経済的影響力では4位、ビジネスのしやすさでは5位に位置しています。このことから、返還後に比べるとかなり香港の中国における存在感が低下していることがわかります。香港は、国際的に認められた金融都市であるため、なお中国と諸外国を結ぶ優れた玄関口です。しかし、中国生徒の緊張の高まりや、パンデミック対策により、国際企業が香港に魅力を感じなくなっていることが危惧されています。結果的に、香港に地域本部を置く国際企業の数は、2018年から2021年にかけて10%近く減少しましたが、中国企業の進出数は28%近く増加しました。このことから、香港は以前よりも国際的ではなくなり、中国志向になっていく可能性があります。
現在、財力がある香港市民は、香港の未来は暗いとみて、海外への移住を選ぶようになりました。イギリスやカナダなどを含め、これまでに少なくとも20万人から30万人が世界各地に移住したとみられます。この中には、医師や教師など、高度な知識を持つ人材も多く、これからは人材不足が香港の社会問題になる可能性があります。それにより、香港政府は22年に、専門人材を呼ぶために年収4300万円以上か、世界トップ100大学を卒業した人を対象に新たなビザ制度を創設しました。受け入れ開始から2か月弱で1万人を超える申請があり、香港政府は人材確保に自信を示しましたが、この3年で労働者人口は18万人減少し、人手不足の解決には程遠いと思われます。
香港は、1967年の香港暴動、89年の天安門事件、97年の返還などのたびに移民ブームを経験してきましたが、そうした問題を受けて一旦香港を離れても、香港の安定を外から確認し、再び香港に戻ってくる人も多くいました。このように、もともと人口流動性が高い都市である香港が、移民の流出によって衰退するとは言い切れません。しかし、今回の場合、高学歴で高度な知識を持っている人材が家族を連れて海外へ移住すれば、二度と戻ってこない可能性もあります。かつてのように、金融都市として栄えた香港が、彼らのような人材なしで上海やシンガポールなどの競争相手と競い、金融都市としての影響力を保てるかは、かなり現実的ではありません。
– 野嶋剛, 2020, 「香港とは何か」, ( 2023年8月2日取得, https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900193/)
– https://news-japan.tokyo/hk-history/
– https://the-owner.jp/archives/11723
– https://gooddo.jp/magazine/peace-justice/terrorism_riot_demonstration/6278/
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